2004, 1月名松(めいしょう)線訪問記 


       給水塔の残る終着駅   伊勢奥津                腕木信号が健在   家城


          沿線唯一の駅員配置駅   家城

                 

名松線訪問記

JR東海エリアで未だタブレットを使っている路線があることを知り、12月のテーマとしては40年ぶりに名松線を訪ねることにした。
基点の松坂駅は当時と較べ大きな変化はなく、輸入物の古いレールを使った跨線橋も現役で使われているのが嬉しく架線のない構内はゆったり広々としている。
キハ85 3両編成の特急南紀を見送ってから 名松線伊勢奥津行407cのキハ11単行列車が発車、ワンマンカーであるが本日は運転指導員が1名、保線区員が1名の計3名が乗務していた。
右に紀勢線としばらく並行してからはやがて近鉄山田線が一志付近まで見え隠れする、 列車はやがて当線のハイライト駅である家城に到着 唯一列車交換のできる駅員配置駅で、 ここで上下列車のタブレット交換が行われるのだ。
つい5日ほど前に発行された鉄道雑誌に名松線が紹介されたこともあり、早速鉄道ファンが多数集まっており、のんびりした
ローカルムードとは違った雰囲気が漂っている。 本に出る前に訪れたかったのであるが遅かったようであった、 腕木信号がある
ことも有名なポイントでこの辺にも人が集まっていた。
キハ11は出雲川を何度も渡りながら山間部の分け入ってゆく、 崖崩れを警戒してかスピードを出せそうなところも徐行しながらの走行である、 ローカル線にもかかわらず事故防止のためのセンサーがいたるところに設置されており、安全対策の為の投資は充分になされているようである。
伊勢八知駅は美杉村の役場のある町で観光ホテルも建っているが、村の活性化か線路沿いに山間には似つかない中途半端な
遊戯施設などがあり 都会人の求める自然らしさをブチ壊しているようにも見えるのだが・・・・
終点伊勢奥津に着いた時 キハ11から降り立った人は鉄道ファンらしき2名と地元の人3名だけで駅前からはバスの発着もなく、
貨物ホームや引込線が無くなっていたことや 無人駅となっていたことでひっそりとしたたたずまいであった。
折返しの時間を利用して外へ出てみた、 ローカルムード漂う駅や町並は当時のままと変わっていない、40年前の記憶を辿ってみると 松坂からC11の引く混合列車で、途中駅でも貨車の入換作業しながらという運転方式を初めて体験した事を思い出す、
伊勢奥津には給水塔が今もなお残っており、当時その奥には小さな木造機関庫があり、駐泊の設備があった。
松坂行き列車の発車時間近くなってバスが1台入ってきた、 行先幕が変わり、名張行となったのを見て驚いた、懐かしさと40年前と同じ路線が残っていたという嬉しさで、一瞬このバスに乗った方が大阪へ帰るのには距離的にも時間的にもベターであると思ったけれど、家城でのタブレット交換シーンの撮影を考えると便利さだけでは選択できないので断念することにした。
名松線はその名の通り鉄道敷設法に基づき名張と松坂を結ぶ計画で昭和2年から着工し順次開通していったが、 参宮急行電鉄
(現近鉄)が昭和5年に青山トンネルを貫通して、先に伊勢方面への路線を開通させてしまったことから この名松線の名張までの
建設の意義を失ってしまい、伊勢奥津、名張間は予定線扱いに変更されたことが この線の運命を決定づけたようである。
当時の参宮急行電鉄のパワーは強力で「お伊勢さん参り」のルートを一気に確立してしまった、予定通り名張まで開通していれば伊賀電気鉄道(現近鉄伊賀線)の路線を使って伊賀上野で関西線とつながるルートが出来ることから名松線建設の意義は大きかったのではないかと思われる。
先ほど乗客ゼロのまま発車していった 今もなお名松線の使命をはたしている名張行きのバスを見送りながらこんな思いを描いてみたのであった。


                                                 2003.12月 T・Yamamoto