五条側から登ってきた電車はクロスポイントを通り引上線に入る
吉野口側を望む 左20/1000を登る電車 右は引上線 |
五条側を望む ガードマンが立つ辺りにタブレット受渡しの設備があった |
唯一の列車交換全景
スイッチバックの駅、北宇智(きたうち)
和歌山線の吉野口〜五条間10.5kmは峠超えがあって北宇智近くの30kmポスト付近をサミットに20/1000パーミルこう配区間があり北宇智は
そのこう配途中に設けられた
駅のためにスイッチバックの駅として古くは 明治29年に国有化以前の南和鉄道→関西鉄道時代にルーツを遡ることになる。 関西線柘植〜加太間にある
中在信号所や
木次線出雲坂根のスイッチバックは撮影地としても有名な所であるけれど ここ北宇智は大阪近郊にありながら話題に登ることはほとんどなかった。
S40年代のSL時代にはC58が主力機で 貨物列車にはこの区間には 8620かC11の前補機が付き秋から冬にかけては
紀州名産の柿やみかん輸送の列車があって
活況を呈していた。2007年3月で このスイッチバックが廃止になるという情報を知り、SL時代の思い出と見納めにと2月の寒い朝
懐かしい北宇智駅に降り立ちました。
時刻表を検索し 唯一の列車交接がある朝の通勤時間帯を選んでの 数十年ぶりの訪問である、 ダブルクロスポイント付近にあった信号所と踏み切り小屋が消えていた以外
構内のレイアウトや周囲の街並み雰囲気は 大きく変わっていないように思えたものの、駅の業務をする人、タブレット受渡しする人、ポイント切替のための信号所の人、
駅内踏切を守る人等の職員の姿が全くなく 無人駅となった板張りの駅舎は寂しい限りである。 ホームを安全につなぐための跨線橋と 忙しく鳴り続ける踏切の警報鐘、
それに狭い踏切りを通過する車の多さが目立つことから 現代風を感じさせてくれる。
この駅のスイッチバック列車進入方式は王寺側から下ってきた列車は
そのまま駅に進入し ホームでの乗降を済ました後 車掌の誘導によりバック運転で引き上げ線と入線してから五条側へと下ってゆく、
また五条から上ってきた列車は
進入経路は逆となり 先に引き上げ線に 入りバックで駅に進入してゆく。 通過列車に関しては平面クロシングを通るだけなので駅に入ることはなくタブレットの
受渡し時代においてはDC急行や通過貨物列車のために玉条側の20/1000パーシル本線上に受渡設備と
駅員が立つための小さなホームがありました。
現在では運転もワンマン化となったことで車掌と連携するバック運転は中止となり運転士は運転方向毎にブレーキレバーを持って移動しなければならず、
駅と引上げ線に入った時の2回 しかも車外を通ることになっており 駅ではプラットホームをを移動できるか 引上線では犬走りを通っての移動であり、4両編成の時や雨の日、
夜などは大変な作業である。
夕方ラッシュの時間帯に 105,221,117系の4連が入ってくるくらいで
デイタイムは105系2連のみで運用している電車路線では この北宇智駅のスイッチバック方式は
SL時代の遺構ろ言える鉄道施設で却って運行の妨げとなっている。 JR西日本ではこうしたロスを無くすために 本線上にホームを移設して スイッチバック方式を
廃止することに決定。 221系や117系の通る隠れたスイッチバックの名所は消えることとなった。
3月17日の新聞、TV等ではこれら最終日のニュースがわずかに報じられていたのが印象的であった・・・。
2007/5 T・Y